会社名 | 南波建設株式会社 | |||
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設立 | 昭和18年3月 | |||
資本金 | 3,500万円 | |||
代表取締役 | 南波 将彦 | |||
所在地 | 本社 〒377-0896 群馬県吾妻郡東吾妻町大字原町452 TEL(0279)68-2511(代) FAX(0279)68-2564 南波生コン植栗工場 〒377-0805 群馬県吾妻郡東吾妻町大字植栗982-2 TEL(0279)68-3138 |
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許可番号 | 群馬県知事許可(特-28)第21497号 | |||
営業種目 | 土木一式工事、建築一式工事、ほ装工事、他全23業種 生コンクリート製造販売 | |||
系列会社 | ■ 吾妻総業株式会社 ・南波石油 ・グループホームやまゆりの家 ・吾妻バッティングセンターSMILEFACTORY08 ■ 有限会社南波住宅 |
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関連法人 | ■ 社会福祉法人 春風会 やまゆり荘 | |||
取引先銀行 | 群馬銀行原町支店 東和銀行中之条支店 | |||
ISO9001認証 | ■ 対象製品及び業務内容 建築物及び土木構造物の施工(28) |
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沿革 | 昭和 | 18年 | 3月 | 初代社長南波春海が神奈川県綱島において木工業、八洲工業(株)を創立。 |
20年 | 5月 | 空襲のため工場を全焼する。 | ||
21年 | 6月 | 個人経営により八洲工業所を創立。 | ||
27年 | 12月 | 会社組織に変更、南波建設株式会社となる。資本金100万円。 | ||
38年 | 9月 | 東京営業所開設にともない建設大臣登録業者となる。 | ||
40年 | 2月 | 社屋を現在地に建設。 | ||
44年 | 1月 | 系列会社、有限会社南波住宅を設立。 | ||
9月 | 吾妻町大字岩井に生コンクリートプラントを建設。 | |||
10月 | 日本石油吾妻給油所を兼業事業として始める。 | |||
46年 | 12月 | 初代社長南波春海辞任により、南波操子代表取締役社長となる。 | ||
47年 | 6月 | 系列会社、吾妻総業株式会社を設立。 | ||
49年 | 12月 | 吾妻町大字植栗に生コンクリートプラント植栗工場を建設、 吾妻総業株式会社が経営する。岩井工場は廃止する。 |
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52年 | 12月 | 兼業事業日本石油吾妻給油所を分離、吾妻総業株式会社に併合する。 | ||
55年 | 9月 | 初代社長南波春海死去。昭和46年4月、群馬県議会議員に当選以来3期当選、志半ばに逝く。 | ||
56年 | 9月 | 前社長南波操子辞任により、南波和憲取締役社長となる。 | ||
58年 | 八洲測量設計株式会社を系列会社として設立。 | |||
62年 | 11月 | 北榛名林道工事で林野庁長官賞受賞。優良建設工事、連続5年表彰(57年~)。 | ||
平成 | 元年 | 4月 | 八洲測量設計株式会社を株式会社八洲と改める。 | |
5月 | 植栗生コンクリート工場を全面改造。 | |||
4年 | 7月 | 千沢地区治山工事で日本治山治水協会優秀賞を受賞。 | ||
7年 | 6月 | 前社長南波和憲辞任により、南波久美子代表取締役となる。 | ||
10年 | 10月 | 新社屋を現在地に建設する。 | ||
14年 | 2月 | ISO9001 認証。 | ||
12月 | 株式会社八洲でグループホームやまゆりの家を開設。 | |||
10月 | 日本石油吾妻給油所を兼業事業として始める。 | |||
15年 | 12月 | ISO品質マネジメントシステムに生コン業務を追加。 | ||
17年 | 2月 | 榛名一ノ沢復旧治山工事で林野庁長官賞受賞。 | ||
18年 | 4月 | 吾妻総業株式会社の建設費用で吾妻バッティングセンターSMILEFACTORY08を始める。 | ||
11月 | 東京営業所廃止に伴い群馬県知事登録業者に変更。 | |||
21年 | 6月 | ISO品質マネジメントシステムより生コン業務を削除。 | ||
22年 | 4月 | グループホームやまゆりの家を吾妻総業株式会社で運営。 株式会社八洲で建設業を開始。 |
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27年 | 4月 | 吾妻総業(株)の生コン事業を南波建設㈱に移管。 (株)八州の建設事業を南波建設㈱に移管。 |
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28年 | 2月 | 烏帽子支線林業専用道新設備工事で農林水産大臣賞受賞。 | ||
令和 | 元年 | 5月 | 前社長南波久美子辞任により、南波将彦代表取締役となる。 |